ためし読み

『はてしなき現代住居 1989年以後』

はじめに はてしなき現代住居

 「建てること、住むこと、考えることBauen Wohnen Denken ❖」というのは、マルティン・ハイデガーの哲学的思索のキーワードである。「住むことWohnen」は、すなわち「生きることLeben」であり、その根源は、「建てることBauen」そして「考えることDenken」である、という。
 ホモ・サピエンス(現生人類)の本質的能力とされるのが言語能力すなわちコミュニケーション能力である。また、抽象化・概念化の能力、文字・図像による表現能力、知的設計能力である。要するに、「建てること」すなわち建築する能力を獲得したこと、空間をあらかじめイメージし表現する抽象能力、知的設計力を得たのがわれわれホモ・サピエンスである。
 そうした意味では、われわれは誰もが生まれながら「建築家」である。実際、「住む」ために必要な空間を「建てる」ことは、誰にも身近な行為であった。

 第二次世界大戦直後、広島、長崎、東京……日本の多くの都市は焼け野原であった。壕舎をはじめとして人々はありとあらゆるところに住みついた。多くが自力でバラックを建てはじめた。そうしたなかに、創意工夫に富んだ多様な住宅のスタイルが生み出されていた。
 しかし、それからおよそ80年、日本の住居のあり方は大きく変わった。敗戦まもなく、日本全体で420万戸もの住居が不足していたと推計されるが、今や1000万戸に及ぼうとする空き家(848・9万戸、2018/総務省統計局「平成30年住宅・土地統計調査」)を抱える。第二次世界大戦直後のことを思えば、日本の住居が豊かになったことは疑いがない。室内環境を人工的に制御する住宅設備の進化には著しいものがある。

 しかし、果たして、日本の住居は真の意味で豊かになったのか?

 1990年代以降、世界は大転換しつつある。冷戦構造の崩壊、グローバリゼーションの加速と自国第一主義の経済、ナショナリズムの抬頭、ICT革命によるインターネット社会の到来、巨大なプラットフォーマーの出現と生成AIの登場、地球温暖化のグレート・アクセラレーション、そしてCOVID-19の蔓延、この30年間は、ほぼ日本の平成時代(1989-2019)に重なる。

 阪神・淡路大震災(1995)、東日本大震災(2011)などこの30年に次々に大災害が日本列島を襲い、日本の住居とそれを取り巻く環境が、想像以上に脆弱であることが明らかになった。また、少子高齢化の進行は、日本から活力を奪っていった。膨大な空き家を抱える一方、日本社会の階層分化、上流(富裕)層と下流(低所得)層の二極分化も指摘される。そして、日本の総人口は、2011年以降、減少に転じた。2070年には8700万人に減少するという(厚生労働省人口問題研究所、2023年4月)。日本は、世界でもっとも少子高齢化が進行する国である。

 私たちは、現在どのような住居を手にしているのであろうか? 現代の日本では、住宅は「買う」ものであって「建てる」ものではなくなっている。日本の住居の未来はどうなっていくのであろうか? 「住むこと」と「建てること」の未来を考えるために、この30年の日本の住居を振り返ってみたい。
 自ら「住む」場所を選び、自らの住居を思うままにしつらえることは、誰もが人生の節目節目に行ってきている。この選択はどのようなかたちで終わるのであろうか。かつては、生まれた場所は故郷であり、やがて帰っていく場所であった。また、移り住む場所にも、地域それぞれに互いに助け合うコミュニティがあった。しかし、そうした故郷や地域コミュニティは失われつつあるように思える。そもそも、集まって住むかたちはどのようであればいいのか?

布野修司

❖ドイツ工作連盟主催ダルムシュタット建築展で行った講演(1951)のタイトルであり、著書のタイトル。Martin Heidegger, “Bauen Wohnen Denken. Vorträge und Aufsätze” , Klett Cotta, 2020. 中村貴志『ハイデッガーの建築論―― 建てる・住まう・考える』中央公論美術出版、2008年

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はてしなき現代住居 1989年以後

布野修司=編著
青井哲人/秋吉浩気/市川紘司/井上悠紀/今村水紀/魚谷繁礼/岡野道子/織山和久/柿木佑介/葛西慎平/香月真大/権藤智之/佐藤研吾/山道拓人/菅原大輔/高木正三郎/種田元晴/千葉元生/塚田修大/辻琢磨/露木尚文/仲俊治/橋本健史/長谷部勉/馬場兼伸/平塚桂/藤村真喜/前田圭介/牧紀男/松元良枝/水谷俊博/森田一弥/彌田徹/柳沢究/山岸輝樹/山本麻子/山本理奈/渡辺菊眞/渡邊詞男=執筆
発売日 : 2024年5月18日
3,000円+税
A5判・並製|一部カラー | 364頁 | 978-4-8459-1910-9
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