はじめに
世界初のアニメーション作品の1つで、アニメーション作家の先駆者とされるシャルル・エミール・レイノーが制作した『哀れなピエロ』が、1892年10月28日、パリのグレヴァン蝋人形館で、テアトル・オプティークという装置を用いて上映されました。動画は500枚のイラストで構成されており、上映時間は約15分。本作の他『一杯のビール』と『道化師と犬』という作品が同時公開されました。リュミエール兄弟によって映画装置が発明される前、この光と影を使ったアニメーション上映は、10年間も続く人気の公演となりました。『哀れなピエロ』の主人公、白塗りのピエロは、フランスの道化芝居でおなじみのキャラクターです。
道化芝居に強い影響を与えたものとして、ヨーロッパ全土を放浪し大道芸を行う旅芸人の一座、中世イタリアのコンメディア・デッラルテという仮面即興演劇がありました。ヨーロッパの多言語という壁を乗り越えるために、無言劇の技法が洗練されていったのです。ピエロが登場する道化芝居は、19世紀後半には衰退していきますが、その流れを採り入れ発展したパントマイムは、言葉を使わず身振りや動きで物語を伝えます。
映画の発明後、それらの伝統を受け継ぐヨーロッパのアニメーションでは、言語に頼らない物語の方法が発展していきました。一方日本では、漫画を原作としたテレビアニメーションが盛んになり、主に漫画の「セリフ」を発声し、芝居によって物語を伝える方法が発達しました。また日本国内の需要だけで産業として成立したことによって、言語の障壁もありませんでした。
本書では、主に私自身が影響を受けてきた、ヨーロッパのアニメーションを中心に紹介しながら、これまでの創作を通して考えてきたことをまとめています。日本と欧米のアニメーションの志向性に言語の問題は大きく絡んでいます。私自身は、絵本も多く制作していることもあり、文字と絵の関係、文字や音声といったアニメーションにおける言語の扱い方も、長く意識的に考えてきました。
この書籍の骨格は、東京藝術大学アニメーション専攻で行っている講義「アニメーション構想設計論」が元になっています。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科に新設された、アニメーション専攻の教授に就任し、開設初年からこの講義を始めました。まずアニメーション史の中で重要な、そして私が魅力を感じてきた短編アニメーションを紹介し、その魅力について考察しながら、関連する様々な要素に網羅的に触れていきました。同じ講義を中国のFENAKI+北京服装学院+後浪映画学院主催のオンラインのアニメーション公開講座と、私が客員教授を務めている中国美術学院で大学院生に向けて行いました。アニメーションの本質をどう伝えるか、当初は暗中模索の状態でしたが、内容は毎年少しずつ成長し、自分自身も理解を深めていきました。この講義の中で何を伝えたいのかようやくつかめてきたと感じたのは、7年目を過ぎた頃だったと思います。そして最近になってやっと選んだ意味を理解した作品もあります。
講義では、アニメーションの本質的な特徴として「メタモルフォーゼ」や「コレオグラフィー」などのトピックをあげ、アニメーション以外の様々な芸術からの視点も加え、アニメーション創作に役立つ歴史や論理を紹介してきました。講義の骨格を少しずつ精査し、自分自身の創作活動を通して得た新たな経験や知識によって、紹介する作品や構成は変化していきました。
作品を上映し、鑑賞を深めるための関連する画像や素材といった資料を提供しつつ、なるべく学生自身に考えてほしいという狙いから、講義では自分の考えや思いなどはあまり語らないようにしていました。本書では、講座では伝えられなかった思考を加え、より踏み込んだ考察を試みています。
絵画やダンス表現などの歴史を絡め、創作や表現全般に対する考えや思いを伝えると共に、具体的なアニメーション作品に言及し、作品成立の背景やその意義を探り、創作行為によって生まれるアニメーションの本質と魅力に迫っていきたいと思います。まずは作品の魅力を知ってもらい、映像表現を志す方はもちろん、鑑賞の補助としてより広く一般の方にも読んでいただきたいです。
各章の狙いと問題定義を紹介します。それぞれの章のタイトルが、私が考えるアニメーションの本質的な特徴になっています。
「第1章 メタモルフォーゼ」では、変形していく様子を描く技法の特徴や効果、意味についてだけではなく、変身物語についても論じています。コマごとに作画するために起こる、ヒューマンエラーとしての必然的変形についての議論が軸になります。アニメーションにおいて、感情移入のためではない変形表現に発展はあるのか考えていきます。
「第2章 パースペクティブ」では、空間把握における人間の視覚の特性と、それを画像や動画にどう置き換えていくかといった問題について、遠近法から思考を始め、光学の客観性と絵画の主観性どちらの特徴も併せ持つ両義的なアニメーションの視点について考えます。
「第3章 リピート」では、アニメーションと同じ時間芸術である音楽の構造やリズムに焦点を当てた表現を見ていきます。主に繰り返しの動きの表現とモチーフの関連性について注目します。繰り返す動きという最小単位と物語の繰り返しという最大単位の相似構造がもたらす映画的効果についても思考していきます。
「第4章 コレオグラフィー」では、身体による動きの表現であるダンスの方法論や理論に着目し、感情表現や身体論の変容を見ていき、アニメーションにおいてのダンス的要素について考察します。アニメーションにおける描き手の身体性がもたらす表現の可能性はどのようなものか、そしてそれはデジタル表現によってどう変化していくのか考えます。
「第5章 カリカチュア」では、戯画や漫画の歴史と、アニメーションとの関係、描写の特徴としての誇張表現と風刺について考えます。また現代における風刺の可能性について考察します。
「第6章 インディビジュアル」では、1950年代から90年代にかけてのアニメーション作品のモチーフが有する私性と社会性のバランスの変容を見ていきます。個人と社会のバランスだけでなく、時代や地域での変化を考えたうえで、真に意味のある作品とはどのようなものか思考し、現代における傾向とその先を考えます。
「第7章 メタファー」では、芸術一般の比喩表現の他、詩や言語のメタファーの機能を見ていき、絵や人形で事物を提示するアニメーションのあり方は、メタファーに留まるのかを考察します。
「第8章 シンボル」では、深層心理や無意識の世界とアニメーションの関係、特に「夢」に注目しながら、創作における精神性と神秘に着目し、心を外在化する方法を探ります。
「第9章 アニマシー」では、無生物が生きているように見えるアニメーションの重要な動きの特徴を見渡し、擬人化の例を見ていきます。なぜ創作されたアニメーションの動きの中に意識を感じるのかを考察します。
「第10章 ナラティブ」では、これまでの章を振り返りつつ、アニメーションにおける物語性を総括し、アニメーション独自のナラティブについて見ていきます。
これら10個のキーワードは、今までに私が出会い、影響を受けてきた作品の魅力について分析していった結果浮かび上がってきたもので、紹介する多くの作品は、複数の項目を共通に有しています。そして最後に「終章 自作について」で、10個のキーワードが自作とも絡み合っていることを示します。
また、10個のキーワードからアニメーション作品の原理について考えていく前に、そもそもアニメーションをどう定義するかを考察した「序章 アニメーションとは何か」を配置しています。
私個人の長年の創作活動の中で、「アニメーション独自の表現」を探し求め、興味を持ったこと、考えたことを、本書の執筆を通してたどり直していきました。ここで論じている作品、知識や思考は、全て自分の創作の栄養になったものです。先述の通り、10個のトピックを解説した最後に、自作について振り返りますが、創作過程の記述から、インプットとアウトプットの相関性を感じてもらえると思います。
この書籍では、参考画像のスチールを掲載せず、元の作品の画像を私が模写し、挿絵としています。質感やスケールも様々な絵や立体物を簡略化して描いているので、それぞれの作品の情報や差異を、作品を鑑賞するのとは違うかたちで受け取ってもらえるのではないか、と考えています。
インターネットで無料視聴可能な作品に関しては、版元のウェブサイトにURLをまとめたページ(https://www.filmart.co.jp/pickup/35020/)を用意し、凡例に載せたQRコードから開けるようにしています。ぜひ併せてご鑑賞いただければと思います。
