ためし読み

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』

解説 堺三保

「本書で論じるのは原則であって、ルールではない」

本書『ストーリー』のイントロダクションはこの一文から始まる。

このイントロダクションにこそ、本書の真髄が含まれている。本書は、「ストーリー」、すなわち「物語」を語るに際してどのようにすれば観客の心をつかめるのかについて、過去の様々な優れた作品をお手本として、最も成功してきた手法を分析、解説したものだ。しかし、ここに書かれていることを、表面上だけなぞっただけでは、傑作を生み出すことはできない。本書で論じられているのは、物語を語る技術であって、その中で語られる物語の内容そのものではなく、その技術にこそ個々の作家の独自性や才能、情熱などといった、物語の本質が含まれているのだから。

ただし、どんなに優れた本質を含んでいたとしても、それは料理に例えればあくまでも「素材」であることには違いはない。それを「調理」して見事な「料理」に仕立てないことには、人々に「美味い」と言わせることは難しい。物語にも同じことが言える。そして、本書はまさに物語の「調理法」の基礎を説く解説書であり、1997年の原書出版以来、19カ国語に翻訳され、世界中で読まれ、様々な映画学校で参考図書に選ばれている、類い希なる書物なのである。

本書の著者であるロバート・マッキーはおそらく世界で最も著名な脚本講師だ。マッキーは1941年生まれ、出身はミシガン州で、十代の頃から役者として活動、ミシガン大学では英文学を専攻した後、ニューヨークで舞台の仕事に就くが、再度ミシガン大学に戻って映画を学び、そこで撮った短編映画で様々な賞を獲得する。そして1979年、ロサンゼルスに移動、ストーリーアナリストの仕事をしながら、自身も脚本を書き始めた。

マッキーの脚本講師としてのキャリアは、1983年、南カリフォルニア大学の映画芸術学部(当時の名称は映画・テレビ学部)で講師となったときに端を発している。さらに翌年、彼は学外でも同様の講義を、ただしこちらは大学の講義と違う3日間合計30時間という濃密なスケジュールでおこなうこととした。この《ストーリー》セミナーこそ、本書の内容の原型なのである。

マッキーはこのセミナーを世界各地で開催し始め、1984年以降現在に至るまで、10万人以上の人々が受講したと言われている。本書は、そんなマッキーの講義の中から生まれた、まさにマッキー流脚本術を凝縮したものなのだ。

ちなみに、今は当然のように映画関係者の誰もが口にする「映画脚本の三幕構造」を最初に理論化し文章化した、シド・フィールドの『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』が出版されたのが1979年である(奇しくも、フィールドもまた、マッキー同様1980年代に南カリフォルニア大学で脚本を教えている)。この本もまた、今や世界中で読まれている脚本執筆の基礎教本となっており、本書と並んで、映画脚本執筆を志す人々にとってのバイブル的存在と化している(こちらもまた、本書と同じくフィルムアート社から翻訳が出版されているので、未読の方はぜひとも合わせて読んでいただきたい)。

つまり、現在のハリウッドで、いや世界中で広く受け入れられている脚本理論の基礎は、1970年代末から80年代前半に築かれたのであり、それを為した者こそシド・フィールドと本書の著者ロバート・マッキーの二人なのだと言っても過言ではないのである。

フィールドの手法が特に脚本の構成に着目しているのと比べて、マッキーは構成だけでなく「物語」を形作るあらゆる要素について、それぞれ注意すべき点を挙げており、オールラウンドな手法を取っているところに特色がある。本書を通読すれば、脚本執筆のみならず、あらゆるストーリーテリングにおいて注意すべき基本事項を知ることができるだろう。

アマチュアはもちろんプロの間でも、脚本や小説の執筆に関しては「教えられない」ものであるとして、教育不可能論や教育不要論を唱える人たちがいる。だが、これが他の美術分野、たとえば絵画や彫刻、音楽といったものならどうだろう? まずは基礎を、それも若い頃から時間をかけて学ぶところから始めることを否定する人は少ないのではないだろうか? 文章を用いて物語を綴るのもまた、これらと同じ創造的作業であると考えれば、その技術を磨くために先達から学ぶことは大変有効な手段であることが、容易に認められるのではなかろうか?

例えば、抽象画で有名なピカソでも、その活動の初期にあたる「青の時代」には鬱屈した心象を青い色合いで表現しつつも、非常に具象性の高い絵画を描いていたように、小説や脚本もまた、まずは基礎的な構成力を知り、充分に身につけた上で、そこから作家独自の破格な作風を探っていくべきだと、筆者は考える。

手前味噌ではあるが、筆者は浅学非才の身ではありつつも、ここ数年、いくつかの講座で小説や脚本の構成について、作家志望の人々に教えている。そこで最も痛切に感じることは、多くの人が「こんな話を書きたい」という語るべき何事かを抱えているにも関わらず、うまくそれを形にすることができずにいるということだ。そういう人たちの場合、登場人物、テーマ、話の発端とエンディングは、おぼろげではあってもすでに心の中で形作られていることがほとんどだ。問題は、それをどうやって映画脚本や小説の形に組み上げていけばいいか、どんなふうに語っていけばいいのかがわからないまま、悩んでいるのだ。逆に言えば、語り方のコツさえつかめば、このような人々はどんどん自分の内にある物語を、他人に伝えられるものとして吐き出していくことができるようになるので、筆者はその実例を幾度か目にしている。彼らに必要なのは、まさにちょっとした手引きなのだ。

本書は、そのような「語るべき何か」を持つ人にとっての福音なのだと、筆者は信じる。さらに言えば、何を語るかはその人の才能と感性次第だが、どう語るかということは技術であり、それを教えることができると、筆者は信じている。そして本書こそ、その最良の手引きの一冊として、強くお勧めしたい。

ただし、これは繰り返しになるが、この本の内容を表面上なぞってみせるだけでは傑作は書けないし、ここに書かれている原則を破った傑作もまた存在することは、くれぐれも肝に銘じておいていただきたい。本書は類い希なる良薬だが、使用法を一つ間違えると、クリシェだらけの駄作を生み出す毒薬にもなりうるからだ。

そのクスリの効き方をおもしろおかしく風刺しているのが、スパイク・ジョーンズ監督、チャーリー・カウフマン脚本の映画『アダプテーション』だ。なんとこの映画では、ニコラス・ケイジ扮するカウフマンがとあるノンフィクションの映画化脚本執筆に行き詰まり、マッキー(こちらはブライアン・コックスが演じている)の講座を受けに行くという場面が登場するのである。しかも、映画そのものはメタフィクション的な仕掛けと構成で(実際に、とあるノンフィクションが原作として表記されているのに、その脚色に苦しむ脚本家のドラマが展開するという歪さ!)、普通の映画らしい展開や構成からどんどん遠ざかっていきつつ、創作とは何かを皮肉たっぷりに描いた怪作なのだ。というか、この作品ではマッキーとその講座はかなり批判的に描かれているのだが、それにも関わらずオーケーを出したあたりの、マッキーの懐の深さにこそ、感嘆の念を禁じえない。

もちろん、脚本家を志している最中の人たちだけでなく、映画や小説といった「物語」を楽しむことが好きな人々にとっても、本書は興味深い読み物であることは間違いない。ここには、「なぜ人は物語を語りたがり、そして観たり読んだりしたがるのか」についての考察が、山のように詰め込まれているからだ。自分の好きな作品を思い浮かべ、本書に出てくる要素のどれがどんな風に当てはまっているのか、想像してみると、映画鑑賞や読書の楽しみが倍増することはまちがいない。

さて、近年のマッキーは、従来の《ストーリー》セミナー3日間に加えて、《ジャンル》セミナー1日、《ストーリーノミクス》セミナー1日の、合計5日間のコースをおこなうようになっている。《ジャンル》セミナーは、恋愛映画、スリラー、アクション、ホラー、テレビドラマなど、作品のジャンルごとの特徴について語るもので、《ストーリー》講座の延長線上にあるものだが、《ストーリーノミクス》講座のほうは内容も対象もひと味違う。

ストーリーノミクスとは、ビジネスや宣伝、広告の場において、物語的なストーリーテリングの手法を活用するというものだ。ストーリーテリングの手法をマーケティングに応用するというのは、実のところそんなに新しい手法ではないのだが、近年「ストーリーマーケティング」という言葉と共に、アメリカはもちろん日本でも再注目されるようになってきている。マッキーは、そこからさらに一歩進めて、もっと幅広く経済活動そのものにも、ストーリーテリングの手法を取り入れていこうという、野心的なプログラムを展開しているのだろう。

マッキーは今年(2018年)、この《ストーリーノミクス》講座についてまとめた新刊を出版した。こちらも遠からず翻訳されることに期待したい。

※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。

ストーリー

ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則

ロバート・マッキー=著
越前敏弥=訳
発売日 : 2018年12月20日
3,200円+税
A5判・並製 | 536頁 | 978-4-8459-1720-4
詳細を見る