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書評『ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男』 「ドゥ・ザ・オタク・シング」王谷晶

最新作『ナイトメア・アリー』『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』に至るまでの、デル・トロの人生と(未完の映画を含む)全ての作品を解き明かす決定的評伝『ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男』。
本書では、彼の生い立ちから現在に至るまでの軌跡を網羅的に紹介。監督作の制作背景やテーマ、俳優やスタッフとの協働の様子がまとめられており、監督本人の発言から影響を受けた作品や制作秘話も楽しむことができる1冊です。
本書について、小説家・王谷晶さんによる書評を公開します。ギレルモ・デル・トロという類稀なるオタク映画作家の人生/作品をめぐり、王谷さんは何を思うのか。ぜひ書籍と併せてお楽しみください。

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オタクの本質の一つは、コレクション欲にあると思う。物質的なそれはもちろん、知識、経験、体験、記憶を無尽蔵にアーカイヴする/せずにはいられない偏執と欲望が、全てのオタクの心のコアにあるはずだ。その意味でも、映画監督ギレルモ・デル・トロはオタクの中のオタクである。

映画好き、特にジャンル・ムーヴィーのファンならギレルモ・デル・トロの名を知らぬ奴はいない。映画オタと「デル・トロ・ベストは何か」なんて話をし始めたらそれを肴に最低でも三時間は酒が飲める。『パシフィック・リム』はオールタイム・ベストの一つだけどやっぱり『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』も至高のダークファンタジーなんだよな。ドニー・イェンのファンとして『ブレイド2』も外せないし本人的には苦い思い出らしいけど『ミミック』も好きなんだよ。あのゴキブリがさあ……あ、すいませんハイボールもう一杯お願いします。

長編デビュー作『クロノス』から最新作『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』まで十二本のフィルモグラフィに添って1964年生まれの監督のライフヒストリーを綴る本書は、膨大な量の映画、文学、コミック、アートの名前が羅列される。とにかくぽんぽん出てくる。マニアックな古典から誰もが知っているコミックスヒーローまで、多種多彩なフィクションが血液としてこの分厚い評伝の中をごうごうと流れている。監督が愛するゴジラやウルトラマンの話ももちろんある。「荒涼館」と名付けたコレクションを保管するための邸宅(名前はもちろんディケンズが由来)まで持ち、さらに有名な創作ノートを常に携えているデル・トロは、インプットとアウトプットを常人の百倍くらいのペースでこなしているように見える。超人的だ。

現代で、膨大な映画やポップカルチャーの知識をバックボーンにしたオタクな映画作家といえばクエンティン・タランティーノも代表的だが、タラとトロの作風の決定的な違いは、ゴシック・ロマンスへの傾倒、すなわちGOTH魂にあることがこの本を読むとよく分かる。あからさまに分かりやすいGOTH趣味の代表作は『クリムゾン・ピーク』だが、最初期の『クロノス』や、自分のカラーを出すことに苦心惨憺したというハリウッドデビュー作『ミミック』、巨大ロボットと怪獣のバトルアクションSF『パシフィック・リム』においてさえ、デル・トロ監督の血と薔薇と闇を愛するGOTH魂は刻印のようにあちこちに捺されている。画面の隅に映るちょっとした小道具のデザイン、脇役の纏う衣装などのほんの細部でも、そこには繊細なロマンが宿っている。拘ることを諦めない監督の情熱が、本書のあちこちにも溢れている。血みどろとモンスターを愛しながら、同時に耽美趣味も慈しむ。「オトコノコの世界」になりがちなジャンル・ムーヴィーにレースとフリルと貴族と美青年と美少女とロマンスと悲恋と……等のクラシカルな少女漫画的要素を持ち込んだのも、デル・トロの映画作家としての大きな個性と功績だと思う。実際『ヘルボーイ』では原作に希薄なロマンス成分を中心に置き、原作者マイク・ミニョーラに渋い顔をされたらしい。

しかし斯様なプリンス・オブ・ダークネスな面を持ちながら「アツいこと/かっこいいこと」を恥ずかしがらないのもデル・トロ作品の素晴らしい点だ。『ヘルボーイ』の見栄を切るクロエネン、『ブレイド2』のヴァンパイア・クラブ、『パシフィック・リム』の全てのバトルシーンetc……。ちょっとでも恥ずかしがったり斜に構えたりしたら、あの心のド真ん中に突き刺さるかっこよさは生まれなかった。かっこいいことに真剣、ロマンチックであることに真剣。常に真剣なやつだけが何かを成し遂げられる。

本書にはメキシコの裕福な家庭で生まれ育ったギレルモ少年のバイオグラフィから細やかに書き綴られている。生まれ故郷であるメキシコから得た影響やインスピレーションの部分は特に興味深く読んだ。そして幼い頃から「闇」のあるものに惹かれ続けてきたこと、自分の好きなもの、やりたいことが本当にハッキリしていて今に至るまでブレていないことに驚く。映画監督になるために生まれてきたような人だ。

功成り名を遂げてもはぐれものの魂を持ち続けること、それそのものが一種の才能というか呪いみたいなものである。成長し成功し満たされ“成仏”して作風が変わるクリエイターも多い(それが悪いことではないが)中、デル・トロの魂は未だ魔界の王として地の底に君臨している。本書にも書かれている通り、彼自身がヘルボーイ(地獄童子)なのだ。スレた大人の目で見れば安っぽい紙に印刷された陳腐なパルプ・コミックも、子供にとっては自分だけに世界の秘密を見せてくれる本物の魔導書だ。デル・トロがアーティストとしての凄いのは、この「子供の視線」を保ち続けたまま、理知的な大人のスタンスでストーリーテリングをやってのけるところだ。「少年の心を持った大人」を名乗っていい数少ない人物である。

ファンとしては、インターネットや国内の映画メディアが充実する前でリアルタイムでは十分に情報を追えなかった初期作品についてのイントロダクションが豊富に描かれているのが嬉しい。特にハリウッド進出作である『ミミック』では、当時イケイケだったミラマックス社の悪名高いワインスタイン兄弟の下、地獄のような辛い現場を経験したことが切々と綴られている。そのハードさは、後に起こった実父の営利目的誘拐という大事件より辛かったとデル・トロ本人に言わしめるほどである。恐るべしハリウッド・バビロン。しかしトラウマになるほどの辛い仕事を経験してもめげずに自分のビジョンを追求しつづける姿は、彼自身が不屈のヒーローであることを証明している。

また、デル・トロ監督がH・P・ラヴクラフトの小説『恐怖の山脈にて』の映画化を切望し、ほとんど準備段階に入ってから不幸にも頓挫したことは有名だが、他にも『ピーター・パン』や『ターザン』などの企画が持ち込まれていたことも記されている。『ターザン』などはけっこうブルータルにやる予定だったそうで、いやー観てみたかったですね。そしていつか悲願の『恐怖の山脈にて』製作を、監督の願うかたちで実現することを祈ってやまない。モンスターに愛され、モンスターと結ばれた運命の花婿たる監督がこれから見せてくれる魔界も、引き続き楽しみにしています。

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