ためし読み

『場面設定類語辞典』

感情的なつながりを生みだす設定の作り方

優れた物語を生みだすレシピには、読者を引きつける登場人物、一か八かという状況、読者と登場人物の感情的な絆、関心をそそる対立というような、カギとなる原料が数多く含まれる。しかし、本来ならすばらしい出来になるはずだったたくさんの本が、しばしば見落とされてしまったことで犠牲になってきたもうひとつの大事な要素が、「設定」である。無秩序な状態の王国の一部や(「指輪物語」の中つ国)、雑然とした宇宙船内の一室(『エイリアン』のノストロモ号)、活気のない小さな街のローカルな場所(アラバマ州の架空の街・メイカム)というように、どんな物語のどの場面にも、設定は必ず存在する。規模の大小や馴染みの有無を問わず、それぞれの場面における設定は、ユニークかつ印象深いものでなければならない。その場所がひとり歩きできるようになり、忘れがたい方法で読者の心に刻み込まれるように、作家には物語の舞台を向上させる責任がある。

お気に入りの一冊の設定に心を奪われる体験がどんなものかは、世界中の読者が知っている。その場所が実在のものであれ架空のものであれ、読者はあたかも自分が「そこにいる」かのように感じたり、あるいは「そこに行きたい」と切望したりしたはずだ。作家としては、本の結末でそのような郷愁の感覚を作りだしたい。そこに戻りたいと読者に願ってもらいたい。しかし、どうやってそれを実現させたらよいのだろう? いったい何が設定というものを具体的にしたり、また登場人物と同じくらいにそれを興味深いものにするのだろう?

ひとつには、物語における「場所」とは、たんなる舞台の下準備以上の存在でなければならないという点がある。活気のみなぎる設定というのは、実によく考えられて選ばれているものだ。そこは登場人物にとって意味がある場所であり、感情が呼び起こされる場所であり、葛藤や個人的な悲劇や成長の機会を与えてくれるところなのだ。そうした理由から、生まれ故郷、自分の部屋、学校、職場、みんなの遊び場、休暇先などといった場所は、登場人物の人となりやこの先でどのように成長していくのかを形成するために、きわめて重要な役割を担うのである。設定に描かれた場所とそこによく出入りする登場人物の間には、固有の感情的な絆が存在するのだ。

効果的に描くことができれば、この感情的な絆は読者とも関係を結ぶために働きかける。ホグワーツ魔法魔術学校(『ハリーポッター』シリーズ)、オーバールック・ホテル(『シャイニング』)、タラ(『風と共に去りぬ』)といった設定は、読み手の気持ちを刺激するやり方で作家が描いているものであるがゆえに、読者の中に感情的な反応が生じる。象徴や多感覚的な描写を通じて、雰囲気を築いたり葛藤を発生させたりする手段として設定を用いることで、作家は読者を引き込み、物語の世界で登場人物と一緒になって人生を体験することを可能にしているのだ。

これこそ読者の望みである。つまり、本の世界に没頭すること。現実に戻ったとき思わず動揺してしまうほど、物語にすっかり夢中になるということだ。読者のためにそれを実現させるのが作家の仕事であり、そのためのもっとも効果的な手法のひとつが、設定をダイナミックに、壮大なものにすることで面白くしていくということである。

幸いにも、これはあなたが考えるほど大変な作業ではない。

(中略)

雰囲気を構築する手段としての設定

設定を固定された要素だとみなすのは簡単だ。ロンドンはロンドンであって、動いたり変わったりすることはない、そうだろう? しかし、場所そのものは固定されていても、変えられる部分を変えてしまえば都市は大きく様変わりする。時刻、天気、季節、あるいは語り手に起きる変化によってでさえ、設定はそれが起こる前日とは違うものになるのだ。そうした中で、設定に何よりも大きな影響をもたらすのが「雰囲気」である。

雰囲気とは、作品が生みだす感情的な印象、つまり、読者の中で生じる気持ちと定義できる。場面の雰囲気によって、読者は次に発生する出来事に向けて心構えをすることになる、大事な仕掛けなのである。

例を挙げてみよう。(『サイコ』の)ベイツ・モーテルに対する観客の第一印象は「不気味」といった表現で表せるだろう。木々がまばらに生えたみすぼらしい丘の上に、ぽつんとそびえ立つモーテル。暗くて地味な外観。窓は不透明で光を寄せつけず、中の様子はいっさい見えない。この最初の光景が観客の不安を煽る。これからここで何か悪いことが起きることを本能的に察知するのだ。これこそ、ヒッチコックが作品の設定を紹介しただけで生みだした雰囲気である。

映画でも本でも、読者を場面に据えるためには時と場所をはっきりさせておくことが必要なため、設定は序盤に築かれることが多い。設定はそれ自体を通じて雰囲気を伝えることができる便利な手段なのだ。ひとつの場面を書きはじめる前に、どんな雰囲気づくりを目指すのかを特定しておくべきだ。そうすれば、あとはぴったりの雰囲気を構築するのにふさわしいテクニックを選んで使っていくだけである。

● 感情を発生させる装置としての天気と季節

天気を利用すれば、その作品に望ましい雰囲気というものを簡単に伝えることができる。なぜなら、人は特定の気持ちと天気を自動的に結びつけて考えるものだからだ。雨の日は憂鬱、晴れの日は幸せで陽気、霧の日は重苦しい、といったように。気象現象はそこから予測可能な感情を生みだすことが多いため、場面の中に天気を取り入れるのは、望ましい雰囲気を発生させるために効果的な方法であるといえる。

古代遺跡の朽ちかかった壁が、太陽の光を浴びながら天に向かって伸びていた。触れてみると確かに温かく、何世紀もの間雨風にさらされてきた岩の表面は、すり減って滑らかになっている。金魚草と矢車草がやさしいそよ風に吹かれて首を縦に振る一方では、伸びすぎた草が岩の膝を抱え込んでいた。

慎重に選び抜いた天気のヒントを用いて、この文章は穏やかで静かな設定を描いている。ここには自分の意見を述べる登場人物は存在せず、やさしいそよ風、日光、温かな岩といったものが、一緒になって読者に安らぎの感覚を与えている。天気の描写だけでも、読者に影響を及ぼせるようなしっかりとした雰囲気を作りだすのにはじゅうぶんだが、その場に登場人物がいるのならば、もっと楽に仕上がることも多い。天気に対する登場人物の感情的な反応は読者に明確に伝わり、それが読者自身の感情の引き金となり、作家が意図した通りの雰囲気を読者に経験してもらうことが可能になるからである。

マークが遺跡の内部へと最初の一歩を踏みだしたとき、遠くで雷がゴロゴロと鳴り響いた。乾いたレインコートが汗のせいで身体にまとわりつく。涼しいそよ風を求めたが、空気は彼を取り巻く岩のようにじっと重たかった。
表面には古代の模様が十字に入っている。相当深く彫ってあり、縁などは切ってしまいそうなほど鋭く見えた。意思とは反対に、マークは思わず一番近い岩に触れようと手を伸ばしてみた。すると頭上で雷が鋭い音を立て、彼はビクッとしてあとずさった。深呼吸をしてから、両手をポケットに押し込めると慎重に足を地面につけて、不吉な岩を避けながら彼は再びゆっくりと先に向かった。

この設定では、話に挿入される雷とうだるような空気によって、嵐の到来が示されている。それだけでも、この場面に危険が迫っているという雰囲気を与えるのにはじゅうぶんかもしれない。しかし、天候に対するマークの反応こそ、読者がここで感じるべきことの最大のヒントになっている。彼は不安で躊躇しているようだし、それどころかこの場所に踏み込むのが気乗りしない様子でもある。こうして読者は彼の不安を察知することで、雰囲気を設定することになるのだ。

天気と密接につながっているのが「季節」である。場所によってその度合いは異なるものの、秋の紅葉や夏の長く暑い日々というように、どの季節にも広く認識されている特徴がある。この普遍性によって、季節はひとつの場面あるいは物語全体の雰囲気を設定する象徴として、自ずと役に立つのだ。ワシントン・アーヴィングによる『スリーピー・ホロウの伝説』の一節を見てみよう。

イカボッドはゆっくりと走りながら、すてきな秋の恵みの数々という喜びが並ぶ、豊かな味覚の光景ひとつひとつをしっかりと目に留めた。いたるところに膨大な数のリンゴがある。木々に実をつけ過酷な重さに耐えているものもあれば、市場に向かうためにカゴや樽にまとめられたもの、圧搾のためにたっぷりと山盛りに積まれているものもあった。もう少し先には、壮大なインディアンコーンの畑も広がっていた。生い茂る葉の間から黄金色の耳をのぞかせ、これからケーキやコーンミール・マッシュに仕上がる期待を抱かせる。さらにその下にあるカボチャたちは、まるまる太った腹を太陽の方に向け、ぜいたくなパイになることを十二分に約束してくれるのだった。

秋はアーヴィングの物語において、おあつらえ向きな背景だ。なぜならその季節が読者に偽の安心感を与えるからである。秋が心にもたらすものは、涼しい気候、うっとりするような食物、室内で暖炉の火にあたりながら満喫する快適さ、といった心地よい記憶だ。しかし同時に、私たちが忘れがちなのが、秋というのはその年がもうすぐ終わりを迎えることを告げる兆候でもあるということである。もうほんの少しで、世界を覆う極寒の温度と猛吹雪を伴った冬がやってくる。ちょうど、首なし騎士がスリーピー・ホロウと無防備なイカボッド・クレーンを襲撃に来たように。

作品を整えるための季節を検討するときには、物語の中で繰り返し登場するテーマや思考、そして感情を強化するためにはどの季節がふさわしいのかを考えてみよう。たとえば冬は、死、終焉、不毛、絶望などを象徴することが多い。逆に新しさや再生が伴う春は、新たなはじまりや2度目のチャンスを描くのに強みとなる背景だ。また青春時代だとか、純真さ、大人になっていくことを扱う物語などは夏が選択されることが多く、内面に焦点を当てたり変化が訪れたりする物語ならば、準備を象徴する季節である秋に設定されることが多い。

どの季節も実にさまざまな事柄を表すことができる。慎重に選んだ天気の要素が望ましい雰囲気を補強し、読者がこれから起こることに心構えできるようになるのと同じく、しっかり考えて採用すれば季節は強力な道具になる。しかしそうした季節や天気を描くときには、注意して考慮しなければならない難点もいくつかある。

物語のどんな要素もそうであるように、これらもまた、長たらしく書いたり細かく描写しすぎてしまうことがある。するとそこにはメロドラマが出来上がり、読者はうんざりしてしまうかもしれない。多くの描写に関わるテクニックに言えることだが、たいていはほどほどであってこそ大きな効果が期待される。描こうとする場面が焼けるように暑い夏だからといって、うなだれている植物、熱波、息を切らしている犬、毛穴から噴きだす汗などを、何から何まで描写する必要はない。描くディテールを入念に検討して選びだし、それ以上は追求しない。そのような自制は読者にありがたく受け止められるはずだ。

ほかに起こりうる問題としては、天気や季節の描写はたやすくできるため、型にはまった表現に陥ってしまうことである。たとえば、あたかもオーブンから発されているように感じられる空気、湿ったタオルのように身体に感じる湿気、まるで夢の国にいるかと見紛うような雪景色、といった具合だ。物語を構築している最中にまず頭に思い浮かぶこうしたお馴染みの表現とは、それこそがいかなる種類の決まり文句であれ問題なのである。それらは安易な解決策でしかなく、この作家が新しい表現を考えてみようという意欲や能力を持たないことの証拠になってしまう。

描写を新鮮に保つのにもっとも確実な方法は、視点となる登場人物の性格、体験、考え方をいつも念頭に置いておくことである。登場人物のレンズを通して天気を描いてみれば、その人と物語にふさわしいユニークなものが必ず書ける。たとえば、太陽の光は幸せな気持ちや前向きさと結びつけられることが多い。けれども、世界が終わりを迎えたのちの社会で、地下社会の一員として暮らしている主人公の場合だったら、ひょっとすると太陽の光は彼に否定的な感情をもたらすものであるかもしれない。また雨の日というのは悲しみや絶望を引き起こすものとされる場合がほとんどだが、孤独を求める内向的な登場人物にとっては、気持ちが上向きになる天気かもしれない。登場人物はそれぞれが違った存在である。その人物にとってつじつまが合う天気を採用すれば、決まり文句や型にはまった表現には耳を貸さずにいられるはずだ。

場面に天気を組み込むときに忘れずにいてもらいたいことが、最後にもうひとつある。暑さ、寒さ、太陽、雨、風というように、作家として私たちは同じ天候表現に頼りがちだ。しかし、露や霜といったシンプルなものから、砂塵嵐や猛吹雪といった一大事まで、場面の設定に活用できる選択肢は山ほどある。ほとんどの場合、よく知っている表現は確かに道理にかなっている。それでも、場面に一番ふさわしい天候要素を本当に選べているかを確かめるためには、すべての可能性を探ってみるとよいだろう。選択肢の全リストについては、私たちのオンライン執筆書庫「OneStop for Writers」(https://www.onestopforwriters.com )内にある「天気と地球現象の類語辞典」Weather and Earthly Phenomenon Thesaurus を参照していただきたい。また、場面に使えそうな象徴(ある季節に限ったものとそうではないものの両方)については、同ページ内にある「象徴の類語辞典」 Symbolism Thesaurus を活用してみてほしい。

● 光と影を使って舞台を整える

自宅でロマンチックな夜の雰囲気を演出するために、最初にすることといえばなんだろう? きっとあなたは電気を消すのではないか。このちょっとした調節が、落ち着いた受け入れやすい雰囲気を作りだす大きな一歩になる。実生活において光の量や質が人々の心に影響を及ぼすのと同じように、光と影を用いることで、物語の登場人物と読者の両方の雰囲気を調節することは可能だ。

ほとんどの人には日中に訪れる馴染みの場所というものがあるだろう。しかし、同じ場所を夜に訪れてみると、まったく違った印象で見知らぬ場所とさえなることがある。光の量と質を変えるだけで、設定を変えることなくひとつの場所の雰囲気を推移させることができるのだ。例として、『赤毛のアン』シリーズにたびたび登場する、樺の道についてのL・M・モンゴメリーの描写を見てみよう。

それはわずかに狭く、曲がりくねった小道で、長い丘の上をベル家の森まで一直線に通じている。エメラルド色をしたたくさんの幕を通してふるいにかけられた光が降り注ぎ、そこはまるでダイヤモンドの中心のように完璧だった。

この木陰の場面を読者はたやすく思い描くことができるはずだ。緑色を帯びた太陽の光が、場面に快活で明るい印象をもたらしている。また、はっきりと記されてはいないものの、光の描写だけを使って季節が春の終わりか夏であることもほのめかされている。

しかし、別の考え方を有する登場人物がその場所をより遅い時間に通ると、同じ道でも大きく印象が異なってくる。シリーズ3作目で、成長したアンがこの樺の道を通る様子を見てみよう。

樺の道とウィロウミアを抜けて家に向かっていたアンは、これまでになく孤独を感じていた。この道を通って帰るのは、ずいぶん久しぶりのことだ。濃い紫色が広がる夜。あたりには花の香りが充満している──いっそ重苦しいほどだった。

ここでは深い紫色の光が、アンの孤独感とうんざりするほどに充満した香りと組み合わされることで、以前にはそこで感じられなかった重く憂鬱な印象が、場面にもたらされている。

人は光に対して野性的に反応を示す。明るい場所において人はそこを安全だと見做して安心するのだが、暗い場所というのは身体と心の双方により負荷をかけ、重苦しさを感じさせる。場面の雰囲気を設定するときは、光についても気を配るようにしよう。光の分量はどの程度だろうか? どこに光源があるのか? それは強烈なのか柔らかいのか、心地よいのか目がくらむほどなのか? 光は絶えず入ってきて遮るものが一切ないのか、それとも暗がりや当たらない場所ができたりもするのか?

望ましい雰囲気を設定するために、こうした問いの数々は場面にどのように光を当てたらよいかを決める指針になるはずだ。

● 適切な語り手を選ぶ

雰囲気を設定するというパズルにおいて光は重要なピースだが、その効果は視点となる語り手に大きく左右される。再び『ホビットの冒険』の登場人物、ビルボ・バギンズの話に戻ってみよう。旅路において彼が遭遇する困難のひとつに、霜ふり山脈に落ちて頭を強打し意識を失う場面がある。意識が戻ったとき、周囲があまりに真っ暗で、目は開けたものの自分が本当に目覚めているのかわからないと記されている。ビルボが受けた衝撃は非常に圧倒的で、この悲惨な状態に対し、一度落ち着いて自分を取り戻すためにいくらか時間をかけなくてはならなかったほどだ。

居心地のよい環境、豊かな食事、すばらしい眺めの快適なホビットの部屋……そうしたものを重んじることが示されていたビルボだからこそ、そのような設定に強い衝撃を受けたことに誰もが納得するのではないだろうか。物語の序盤にトールキンが登場人物をそのように構築していたおかげで、読者はビルボについて把握しており、彼がこの暗い洞窟に投げ込まれたときの感情的な反応も、当然のこととして予期できるというわけだ。

しかし、設定や雰囲気の興味深いところは、それが完全に登場人物次第であるとうな目、そして遠くからビルボのことを見張る能力を通して、ゴクリがこの洞窟に長いこと生息しているのがわかる。ここの暗さや静けさは絶望をもたらすものではなく、彼にとってはたんなる普通の状態でしかない。この領域においては自分が主人だとわかっているから、自信や安心という、ビルボの視点からとは異なる雰囲気が生じるのである。

ひとつの設定に対して存在する、2つの異なる視点。これは、場面の雰囲気に対して語り手や視点となる登場人物に与えられる効果ばかりでなく、どのように対比の描写を提供することができるかについて示した例だ。物語において、作家の視点というのは2人の登場人物や2つのもの、その組織や場所などのあからさまな違いを示すことで描かれることが多い。『ハンガー・ゲーム』に登場する第12地区は、キャピトルの際立った裕福さと並行して描かれなければ、そこまで絶望的で暗い場所ではなかったかもしれない。ホグワーツはプリベット通りと比較して表現されたからこそ、幸福な場所だったのだ。作家は、いつも何かを伝えようと試みている。その要点をはっきりさせるために、設定を描くときにはちょっとした対比を利用することを検討してみるとよいだろう。

● 表現方法が重要

作家の表現方法もまた、雰囲気を伝える別のやり方である。下記の文を、使われている言葉に注意しながら見てみよう。

雲を通して太陽の光が降り注ぎ、墓石をきらめかせて墓地全体に暖かさをもたらす。地面の芝生が足音をかき消す中、ポーラはでこぼこ道を器用に進んだ。ラベンダーの香りに包まれたそよ風が墓石の間からささやき、肌を撫でる。深く息を吸い込むと、彼女は微笑んだ。

墓地でありながら、この場合の雰囲気はめずらしく平穏であり、落ち着きを表すために注意深く選ばれた言葉を通してそれは確立されている。墓石に暖かさをもたらす日光、彼女の足音を吸収する芝生、墓碑の間からささやくそよ風、リラックス効果を持つものとして知られるラベンダーの香り。こうした表現が登場人物の心理状態を伝え、墓地を平穏で満たしているのだ。

文の長さや流暢さもまたこの雰囲気を強めている。長くよどみない文からなるこの一節は、まさしく作家が意図した通り、緩慢でとりとめのない印象を設定に与えている。このような長い文は、充足感、懐古、思案といった、より低エネルギーの感情を伝えるのに役立つ。一方で短い文の場合は、恐怖、不安、怒り、焦り、興奮などの高エネルギーの感情を伝えるのに適することが多い。表現方法が設定の雰囲気にもたらす効果を示すために、表現を変えて先ほどの場面を見てみることにしよう。

息も絶え絶えに、ポーラは岩だらけの墓地を駆け抜ける。壊れた墓碑につまずいて、とがった縁で脛を切ってしまった。太陽の光が彼女の目を突き刺す。目を細め、しみる汗を拭いながら背後にちらっと目をやった。まだ誰も追ってきてはいない。でも、彼らは諦めた様子ではなかった。そもそも、連中は絶対に諦めないのだ。煙たい突風が彼女を襲う。何かが燃えているような匂いにむせて、彼女の身体はよろめいた。

新たに選択した言葉によって、先ほどの明るい墓地の雰囲気が一変した。今回、ポーラは墓地の中を落ち着いて歩いているのではなく、駆け抜けている。太陽の光は強烈で突き刺すほどだ。やさしいそよ風も、激しくて嫌な匂いの風に変わっている。また、文章自体ももはや流暢ではなく、途切れ途切れの構造が、ポーラの切迫した状況に適する唐突で急いだ印象を節にもたらしている。

このように、表現方法は特定の雰囲気を構築するための楽器になるのだ。読者に体験してもらいたいと思う感情を伝えられる組み合わせを求めて、言葉選び、文の長さ、滑らかさ、それに節の長さまでも実験してみるとよいだろう。

● 物語に散りばめられる伏線

読者に今何を感じてほしいのかという手がかりを与えるのに、多くの事柄を描く必要はない。その場の雰囲気は必ずしも場面でそのとき起きている出来事によるわけではなく、ときには「これから起きること」に関係している場合もあるからだ。

伏線は、作家がこの先に起きる事柄のヒントを与えるために用いる文学技法である。これは恐怖、興奮、不安、感謝などの感情と結びついたときにもっとも効果が表れる。それゆえに伏線と雰囲気は連携していることが多い。感情は特定の場所と関連づけやすいので、雰囲気を定めつつこれから起きることの基盤を築いていくために、設定は最適の手段なのだ。

視覚的な性質があることから、この先の出来事の伏線を張るために設定を利用するには映画がうってつけである。たとえば『ターミネーター』のラストシーンは、不吉な雲が空を覆っていく様子で終わる。その光景は核戦争が起きることを予感させ、サラ・コナーが未来の母としての運命を受け入れ、覚悟をもって承諾するという映画のラストの雰囲気を決定的なものにしている。

文学作品における優れた例としては、『高慢と偏見』の中で、エリザベスがダーシーの家であるペンバリー館を初めて目にする場面が挙げられるだろう。

それは大きくて立派な石の建物で高台にそびえ、背景には樹木の生い茂る丘の尾根がある……エリザベスは喜びでいっぱいだった。彼女は今まで、これほど自然が貢献している場所、あるいは野暮な嗜好のせいで自然の美しさが弱められていることのない場所を見たことがなかった。彼らは皆感嘆して、心温まる気持ちだった。そしてその瞬間、ペンバリー館の女主人になるのはすばらしいことかもしれない! と彼女は思ったのだ。

この一節で、作家はエリザベスの未来を読者に垣間見せている。彼女は確かにダーシーからのプロポーズを断っていたが、最近になって、彼のことをもっと肯定的な観点で捉えられるような新しい事柄をいくつか知った。その上で彼の自宅を訪ねる場面は、オースティンにとってこの先の出来事を予感させる申し分のない機会だったのだ。最後の一文が、エリザベスのいっそう明るい未来を暗示している。彼女にとってペンバリー館は嬉しい驚きであり、喜びでさえあるのだ。館に対する彼女の反応は、ダーシーに対する気持ちの変化も反映している。その結果、彼女の未来と、以前の高慢と偏見を断ち切ることを可能にした個人的成長という、両方に対する希望の雰囲気が生まれることとなったのである。

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場面設定類語辞典

アンジェラ・アッカーマン/ベッカ・パグリッシ=著
滝本杏奈=訳
発売日 : 2017年4月25日
3,000+税
A5判・並製 | 584頁 | 978-4-8459-1623-8
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