ためし読み

『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』

序 本書が置かれた文脈

過去十年半にわたって、おそらく特に米国ではそうであったが、ホラーは大衆にとって、美的刺激の主要な源泉として栄華を誇ってきた。それどころか、ホラーは、ベトナム戦争後の時代において最も長続きし、広く普及し、持続しつづけているジャンルかもしれない。ホラー小説は、ほとんどすべてのスーパーマーケットやドラッグストアで手に入るようになっており、新しいタイトルが現われる速度は不安になるほど速い。ホラー小説やアンソロジーの猛攻は、少なくとも現時点では、その中で描かれているモンスターと同じく手がつけられず、逃れられないものになっている。このジャンルの作家のひとり、スティーヴン・キングは誰もが知る有名人になり、そこまでは有名でないにしても、ピーター・ストラウブやクライヴ・バーカーなど、多くの支持を受けている作家もいる。

また大衆向け映画も、『エクソシスト』(1973年)の興行的大成功以来、ホラーに執着しつづけているため、最寄りのシネコンに行けば、そのうちの少なくとも一作にはモンスターが登場することになる。過去十年半に作られたホラー映画が膨大にあることは、ホラーを扱っている近所のレンタルビデオ店に行って、スペースの割合を軽く見るだけで簡単に確かめることができる。

ホラーと音楽の相性が良いことは、ロックのミュージックビデオ、特にマイケル・ジャクソンの『スリラー』(1983年)で明らかだが、ホラーアイコンがMTVやポップミュージック業界を非常に広範囲に彩っていることを忘れてはならない。1988年にブロードウェイで大ヒットしたミュージカルと言えばもちろん『オペラ座の怪人』だが、この作品はロンドンで先に成功をおさめており、これにインスピレーションを受けて、『キャリー』〔ミュージカル版〕など、意外な作品も作られている。一方舞台演劇の側では、エドワード・ゴーリー版のドラキュラなど、ホラーの古典の新バージョンが登場し、テレビでは『エルム街の悪夢』のようなホラーやホラー関連のシリーズが続々と始まっている。美術においても、ホラーは、フランシス・ベーコンやH・R・ギーガー、シビル・ルパートなどの作品に直接描かれているだけではなく、ポストモダンのアーティストのパスティーシュ〔模倣〕の中にも暗示の形で描かれている。要するに、ホラーは、ポピュラーアートでもそれ以外でも、現代の芸術形式アートフォーム全般で定番となっており、吸血鬼、トロール、グレムリン、ゾンビ、人狼、悪魔に取り憑かれた子ども、大小さまざまのスペースモンスター、幽霊、その他の名もなき怪物たちが、ここ十年半の期間がまるで長いハロウィーンの夜ででもあったかのようなペースで生み出されているのだ。

1982年にスティーヴン・キングは――毎年夏の終わりになると多くの人がそう考えるように――、現在のホラーのサイクル◇1 は終わりに近づいているように見えると推測していた ◆1。しかし、この序文を書いている時点では、フレディは――余裕たっぷりに四度目の転生をして――まだエルム街の末裔たちを恐怖に陥れており、クライヴ・バーカーの新しい作品集『死都伝説』が郵便で届いたばかりだ。

はじめのうち、現在のホラーサイクルは少しずつ勢いをえていった。文学では、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』(1969年)やフレッド・マスタード・スチュアートの『悪魔のワルツ』(1969年)の登場が前触れとなり、トム・トライオンの『悪を呼ぶ少年』(1971年)や、ウィリアム・ピーター・ブラッティのヒット作『エクソシスト』(1971年)などがベストセラー入りした ◆2。読書市場での大衆的な人気は、特に『エクソシスト』によって確立され、その後、アイラ・レヴィンの『ステップフォードの妻たち』(1972年)、スティーヴン・キングのデビュー作『キャリー』(1973年)、ロバート・マラスコの『家』(1973年)、ジェフリー・コンヴィッツの『センチネル』(1974年)、キングの『呪われた町』(1975年)などの登場によって、さらに強固なものとなった。もちろん、ホラー小説――リチャード・マシスン、デニス・ホイートリー、ジョン・ウィンダム、ロバート・ブロックなどの巨匠による作品――は、これらの本が登場する前から継続的に入手できた。しかし、70年代前半に起こったと思われるのは、いわばホラーがメインストリームに参入したということだ。ホラーの読者層はもはや特殊なものではなく、広範なものとなり、ホラー小説はどんどん手に入りやすくなっていった。これによって今度は、ホラーによる娯楽を求める観賞者が増え、70年代後半から80年代には、その需要を満たすために大量の作家たちが登場した。そこには、チャールズ・L・グラント、デニス・エチスン、ラムジー・キャンベル、アラン・ライアン、ホイットリー・ストリーバー、ジェームズ・ハーバート、T・E・D・クライン、ジョン・コイン、アン・ライス、マイケル・マクダウェル、ディーン・クーンツ、ジョン・ソールやその他多くの人が含まれる。

読者の皆さんはまちがいなくすぐに気づいただろうが、上で言及した小説はどれも映画化されており、その多くは大成功を収めている。この点で最も重要なのは、言うまでもないかもしれないが、ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』だ。この映画の成功によって、おそらく、映画を制作しようという刺激が与えられただけではなく、ホラーは出版社にとってより魅力的なものになったと推測される。映画に恐怖を感じた人の多くが、結果的に小説を手に取り、それによってホラー小説を好むようになったからだ。現在のホラーサイクルでは、ホラー映画とホラー文学の関係は非常に密接なものだが、それはホラー映画の多くがホラー小説の映画化であるという明らかな意味でもそうであるし、このジャンルの作家の多くがそれ以前のホラー映画のサイクルから深い影響を受けているという意味でも――これはインタビューで言及されるだけでなく、小説の本文中でも言及される――密接なつながりがある◆3

もちろん、『エクソシスト』の成功が映画産業に与えた強い影響は、文学市場に与えた影響以上に明確だ。憑依と念力というテーマが繰り返し使用されるようになっただけではなく、『エクソシスト』(映画版)のすぐあとに、『アビィ』、『Beyond the Door』、『La Endemoniada(別名:Demon Witch Child)』、『Exorcismo』、『魔鬼雨』などの模倣作品が続々と登場した。当初このジャンルは、できの悪い模倣品があふれたまま消滅していくかのように思われた。しかし1975年には『ジョーズ』によって映画市場が揺るがされ、ホラーにはまだ採掘できる黄金が残っていることを映画制作者に再確認させた。『ジョーズ』(およびその派生作品)に対する反応が鈍化すると、『キャリー』や『オーメン』が現われた。そして1977年には、ホラー映画ではないが宇宙空間への扉を開いた『スター・ウォーズ』が登場し、それによって『エイリアン』のような作品も認められるようになった。このジャンルの健全性が危ぶまれるたび、突然の復活をとげてきたのだ。このジャンルには強い回復力があるように思われる。これによって、現在では、ファンタジージャンルは――ホラーはその代表例であるが――、映画プロデューサーたちが次に何を作ろうかと考えるとき、つねに挑戦する価値があるジャンルであることが示されている。その結果、ホラーのタイトル数は実に驚くべき数になっている。そして今や、わたしたちの前には、ホラー/ファンタジー映画のスペシャリストとして認められている映画監督たちが数多く存在しており、そこには、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・クローネンバーグ、ブライアン・デ・パルマ、デイヴィッド・リンチ、ジョン・カーペンター、ウェス・クレイヴン、フィリップ・カウフマン、トビー・フーパー、ジョン・マクティアナン、リドリー・スコットなどが含まれている。

この十年半の間に大量のホラー映画が作られたことを強調する際、60年代にはホラー映画がなかったと言いたいわけではない。しかし、そうした映画はどこかしら周辺的なものだった。ホラーを観るには、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ、ウィリアム・キャッスル、ハマー・フィルムの最新作に目を光らせていなければならなかった。ロジャー・コーマンは、ホラー愛好家には愛されていたが、幅広く評価されていたわけではなく、ジョージ・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のような深夜の古典映画は、主にアンダーグラウンドで評価をえていた。『エクソシスト』に始まる一連の大ヒット作は、文化におけるホラー映画の位置づけを変え、ホラー文学の出版と消費の拡大を促したと言えるだろう。

もちろん、ホラー文学やホラー映画の市場はどこからともなく生まれてきたわけではない。観賞者は主に団塊の世代であったと想像される。こうした観賞者は、ホラーのスペシャリストになったアーティストの多くと同様に、テレビに育てられた戦後最初の世代だ。また、こうした人々がホラーへの愛着を育み、それを深化させていったのは、主に、若い頃にそれ以前のホラーやSFのサイクルが、午後や深夜のテレビ番組のレパートリーとして、何度も何度も再放送されていたせいだという仮説を立てることもできるだろう。この世代は、その後自分たちの番がくると、ホラーのエンターテインメントによって次の世代を育てるようになり、ホラーのイメージは文化にあふれ――朝食のシリアルや子どものおもちゃからポストモダンアートまで――、このイメージが、わたしたちの社会における、文学、映画、さらには演劇のかなりの割合を占めるようになったのだ。

こうした文脈をふまえれば、ホラーの本質についての美学的探究を開始するには絶好の時期が来ているように思われる。本書の目的は、ホラージャンルを哲学的に探求することにある。しかし、このプロジェクトは当然ながら、今日のようにホラーが広く行き渡った状況によって促され、急務とされる。ただし、課題が哲学的なものであるかぎり、このプロジェクトで試みられるのは、歴史を通じて、具現化されてきたホラージャンルの一般的特徴を扱うことだ。

ホラージャンルの手短な紹介

本論考の対象となるのはホラージャンルだ。しかし、このジャンルについてわたしの説を展開する前に、これから論じようとする現象について、大まかな歴史的スケッチを与えておくことが有益だろう。多くのホラー論者にならい、わたしは、ホラーとは、まず第一に、18世紀に登場し始めた近代的なジャンルであると想定している◆4。ホラージャンルの直接的な源流は、イギリスのゴシック小説、ドイツのシャウアーロマン、フランスのロマン・ノワールだ。議論の余地はあるかもしれないが、一般的なコンセンサスでは、ホラージャンルに関係する最初のゴシック小説は、1765年にホレス・ウォルポールが書いた『オトラントの城』とされている。この小説は、それに先行する世代の墓場派の詩人によって始められた新古典主義的感性への抵抗を引き継いでいる◆5

ゴシックというラベルには、多くの領域が含まれている。モンタギュー・サマーズが提案した四つの分類図式に従えば、ゴシックには歴史的ゴシック、自然主義ゴシックないし説明的ゴシック、超自然ゴシック、多義的ゴシックが含まれることになる◆6。歴史的ゴシックでは、超自然的な出来事の暗示なしに想像上の過去に設定された話が描かれ、一方、自然主義的ゴシックでは、超自然的現象のように見えるものが導入されるが、最終的には説明しつくされる。アン・ラドクリフの『ユードルフォの秘密』(1794年)は、このカテゴリーの古典的な作品だ。チャールズ・ブロックデン・ブラウンの『エドガー・ハントリー』(1799年)など多義的ゴシックでは、キャラクターの心理的動揺によって、テキスト中で描かれた出来事が超自然的起源をもつのかどうかが曖昧になる。説明的ゴシックと多義的ゴシックは、今日の文学理論家が怪奇、幻想と呼ぶものの先駆けとなっている◇2。

狭義のホラージャンルが進化してくるために特に重要だったのは超自然的ゴシックだが、このジャンルでは、自然に反する力の存在と、その残酷なはたらきが視覚的に示される。ゴシックのこのバリエーションについて、J・M・S・トンプキンスは、「これらの作家の仕事は突然の衝ショック撃を通じたものであり、超自然的なものを扱う際に好まれる効果は、懐疑から、恐怖に襲われ突然に信じるようになることだ」と書いている◆7。マシュー・ルイスの『マンク』(1796年)の結末で描かれた悪魔の登場と神父が陰惨にくし刺しにされる場面こそ、ホラージャンルの真の先触れだろう。この時期におけるジャンルの発展の主要な達成としては他に、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)、ジョン・ポリドリの『吸血鬼』(1819年)、チャールズ・ロバート・マチューリンの『放浪者メルモス』(1820年)などがある。

1820年代にはすでに、ホラーストーリーを元にした演劇が始まっている。1823年には、チャード・ブリンスリー・ピークによって『Presumption: or, the Fate of Frankenstein(Frankenstein: or, the Danger of PresumptionまたはFrankenstein. A Romantic Drama)』というタイトルで、『フランケンシュタイン』が舞台化されている。トーマス・ポッター・クックは、ポリドリの『吸血鬼』の舞台版でモンスターとルスヴン卿の両方を演じている。時に、このふたつのストーリーが二本立てで上演されることもあったようだが、おそらく、30年代のホラー映画のサイクルと、ハマー・フィルムの黄金時代もまた、吸血鬼とフランケンシュタインというふたつの神話によって始められたことを思い出す人もいるだろう。1820年代には『フランケンシュタイン』のストーリーの別バージョンの舞台化がいくつか人気となり、その中には『Le Monstre et le Magicien』、『Frankenstein: or, The Man and the Monster』などが含まれている。また、原作を逸脱した風刺サタイアも無数にあり、これは意図せずして、アボットとコステロの凸凹コンビによる悪戯の先駆けとなっている◆8。バレエの舞台でもホラーのテーマが追求され、ジャコモ・マイアベーアのオペラ『悪魔のロベール』の幕間の死んだ尼僧たちの踊り(Filippo Taglioni, 1831)や、『ラ・シルフィード』(Filippo Taglioni, 1832)、『オンディーヌ』(Louis Henry, 1834)、『ジゼル』(Jean Coralli and Jules Perrot, 1841)、『ナポリ』(August Bournonville, 1844)などのバレエ作品があった。

ホラーは1820年代から1870年代の間に書かれつづけたが、主にリアリズム小説の出現によって、英語圏の文化の中ではその重要性は衰えていく。1820年代から1840年代にかけては、『ブラックウッズ・エディンバラ・マガジン』が、ウィリアム・マッドフォード、エドワード・ブルワー゠リットン、ジェイムズ・ホッグの短篇小説を出版してゴシックの火を絶やさず、1840年代後半には、トーマス・プレストの220章からなる連作小説『Varney the Vampire: or, The Feast of Blood ◆9』やジョージ・ウィリアム・マッカーサーの『Wagner, the Wehr-wolf』が大衆の想像力をつかんだ。アメリカでは、エドガー・アラン・ポーがブラックウッド誌にならい、それどころか「ブラックウッド誌流の作品の書き方」と題した作品まで書いている◆10

この時代を概観しつつ、ベンジャミン・フランクリン・フィッシャーは以下のように書いている。

この時代の怪奇小説における重要な動向は、盛期のヴィクトリア朝小説とアメリカ小説の発展を反映し、その後、しっかりとした芸術的で真剣なジャンルへと発展した。無数の外的な不幸や邪悪な行為を通じて表現された物理的な戦いから、心理的恐怖への移行があった。このフィクションにおける内面への転回によって、明らさまに人を怖がらせるような結果ではなく、動機が強調されるようになった。チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場するような、シーツをかぶった幽霊はいなくなり、取り憑かれた精神が代わりに登場し、これは不幸な犠牲者を「怖がらせる」という点ではるかに強い力をもっていた◆11

ポーの作品とともにフィッシャーがここで念頭においているのは、ホーソーン、メルヴィル、ブロンテ姉妹の作品に見られるゴシックの雰囲気であるように思われる。しかし、この時代の人物で狭義のホラージャンルに最も直接的な貢献をしたのは、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュかもしれない。レ・ファニュの作品では、多くの場合、日常の世界の中に超自然的なものが配置され、そこで、(ゴシック的な越境者ではなく)ごく普通の無垢な被害者の迫害が注意深く観察され、そこに一種の心理的精巧さがあるが、これがこのジャンルのその後の多くの作品のトーンを決定することになる。

レ・ファニュの『In a Glass Darkly』(1872年)は、1920年代までつづく、幽霊譚の主要な達成の時代を切り開いた。この幽霊譚という形式の傑作は、一般的に短篇小説のかたちをとることが多く、ヘンリー・ジェームズ、イーディス・ウォートン、ラドヤード・キップリング、アンブローズ・ビアース、ギ・ド・モーパッサン、アーサー・マッケン、アルジャーノン・ブラックウッド、オリヴァー・オニオンズなどの手によるものがあった。

古典的なホラー小説――後に何度も舞台化・映画化されている――は、この頃に作られている。そこに含まれるのは、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』(1887年)、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(1891年)、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)などだ。H・G・ウェルズは通常、SFと結びつけられているが、世紀の変わり目以降はホラーや幽霊譚も作っている。そして、これらの作家ほど有名ではないが、この多産な時期には、他に敬われるべきホラー作家として、グラント・アレン、リデル夫人、M・P・シール、G・S・ヴィエレック、エリオット・オドネル、R・W・チェンバース、E・F・ベンスン、キャンベル・プライド夫人、ウィリアム・クラーク・ラッセルなどがいる。

ゲイリー・ウィリアム・クロフォードによれば、前世代の巨匠たち(ブラックウッド、マッケン、オニオンズなど)の作品に見られる宇宙的系譜とは対照的に、第一次世界大戦後のイギリスのホラー小説は、ウォルター・デ・ラ・メア、L・P・ハートレイ、W・F・ハーヴィー、R・H・モルデン、A・N・L・マンビー、L・T・C・ロルト、M・P・デア、H・ラッセル・ウェイクフィールド、エリザベス・ボウエン、メアリー・ シンクレア、シンシア・アスキスなどの作品によって、リアリズム的・心理的転回をとげた◆12。しかし、ホラー小説における宇宙的系譜は、アメリカで、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890-1937)によって生きつづけ、ラヴクラフトはパルプ雑誌『ウィアード・テイルズ』で働く作家たちの中心に立っていた。ラヴクラフトは並はずれた作家であり、大量のストーリーをつむぎだすだけでなく、『文学と超自然的恐怖』と題された論考や膨大な書簡を書き、そこで独自のホラー美学を発展させた。部分的には、こうした書簡や、意欲的な作家を支援したことにより、ラヴクラフトには、忠実なフォロワーの作家や模倣者――クラーク・アシュトン・スミス、カール・ジャコビ、オーガスト・ダーレスなど――がいた。ロバート・ブロックもまた、ラヴクラフトの伝統である宇宙的恐怖の分野でキャリアをはじめ、宇宙的恐怖は、第二次世界大戦後も長くこのジャンルに影響を与えつづけた◆13

第一次世界大戦後、ホラージャンルもまた映画という新興芸術の中に新しい住処を見つけた。後にドイツ表現主義として知られるようになる様式のホラー映画は、ワイマール期のドイツで制作され、F・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』など、いくつかの作品はホラーの傑作として認められている。現在のホラー映画のサイクルの以前にも、映画史上には、ホラーモードに属する創造性が大きく花開いた時代が何度か訪れている。30年代前半のサイクルは、ユニバーサル・スタジオによって口火を切り、30年代後半と40年代前半の映画制作者は、若い観賞者を対象に何とかこのサイクルを復活させようと試みた。また40年代には、RKOのヴァル・リュートンが大人向けのホラー映画いくつも作っている。また50年代前半のホラー/SF映画のサイクルは、50年代中盤の日本のゴジラ産業に影響を与えるとともに、50年代後半にアメリカで再びホラー映画のサイクルを復活させようとする試みに影響を与えた。

こうした映画は映画館でもテレビでも観られ、団塊の世代の観賞者にホラーの嗜好を教えた。この嗜好は60年代には、AIP、ウィリアム・キャッスル、ハマー・フィルムの作品を上映する場末の映画館の昼興行(マチネ)で維持された◆14。古典的なホラー映画の神話のおかげでホラーに飢えた愛好者の多くは原作の文学作品にも手を出し、『Famous Monsters of Filmland』(1958年創刊)のようなそれほど洗練されていない雑誌も読んでいた。また、『トワイライトゾーン』のような「ファンタジー」的なテレビ番組のおかげで、チャールズ・ボーモント、リチャード・マシスン、ロアルド・ダールなどの作家や、こうした作家を生んだ短篇小説の伝統にも関心が集まった。かくして、70年代前半には観賞者には、次のホラーサイクル――つまり現在のホラーサイクル――の準備ができていた。

ここまで紹介してきたホラージャンルの大まかな歴史によって、本書で理論化しようとしている作品群を幅広く境界づけることができる。ジャンルをラフに描くことで、多くの人が前理論的にジャンルに何を含めるのかを示すことができたと思う。ジャンルについて理論化を経ていく過程で、多かれ少なかれ素朴なこのホラーの歴史に含まれていた作品の一部については、分類し直さなければならない。すでに言及した作品の一部は、ジャンルを理論的に編成する過程で、このジャンルから脱落していくことになる。しかし本書で展開していくホラーの哲学では、ほとんどの人が前理論的にホラーと呼んでいる作品のほとんどを特徴づけることができると思う。もしこれができなければ、その理論には欠陥がある。つまり、ここまでの箇所に詰め込んだジャンルの概要のすべての項目を捉えることは期待していないが、一方、わたしの理論がそのうちのあまりに多くを見逃してしまう場合には、理論が的を外していることになる。

ホラーの哲学とは?

本書は自らホラーの哲学と称している。この概念自体が多くの人を混乱させるかもしれない。ホラーの哲学なんて聞いたことがあるか? 大学のシラバスや学術出版社のカタログにそんなものは載っていない。では、この奇妙なフレーズ「ホラーの哲学」はいったい何を意図したものなのだろう。

アリストテレスは『詩学』第一巻を次のような言葉で始めている。「詩作そのもの、および詩作の種類について、わたしたちは論じるとしよう。すなわち、詩作の種類のそれぞれがどのような機能をもっているか、詩作がすぐれたものとなるには筋がどのように組みたてられねばならないか、さらには、詩作がどれだけの要素から、またどのような種類の要素から成り立っているか、同様にまた、同じ研究の対象となる他のすべてのことがらについてわたしたちは論じる◆15[…]」。アリストテレスは、現存するテキストの中でここで述べられた概要を完全に実行しているわけではない。しかし、アリストテレスは悲劇に関する包括的な説明を与えており、この説明は、悲劇がもたらすとされている効果――憐れみと恐怖によるカタルシス――の観点から、その効果を促進する要素、特にプロット上の要素に関わるものになっている。この説明によれば、悲劇のプロットは、アリストテレスがこの概念に与えている専門的な意味で、初め、中間、終わりをもつことによって、および、逆転、認知、変転などの要素をもつことによってこの効果を促進する。アリストテレスは、悲劇における関連するプロットの要素を抽出している。つまり、プロットの要素がどのように設計されることによって、このジャンルに固有のものと見なされる感情反応が引き起こされるのかに注意を払っているのだ。

芸術ジャンルの哲学とはどのようなものかに関してアリストテレスを範例としているため、わたしが与えるホラーの説明は、それが観賞者に引き起こすよう意図された感情効果という点から説明を与えるものになっている。ここに含まれるのは、その感情効果の本質を特徴づけること、および、ふさわしい感情的効果を高めるためにジャンル内で繰り返し採用される類型やプロット構造を精査・分析することの両方だ。つまり、わたしはアリストテレスの精神にのっとって、ジャンルが感情効果を生み出すよう意図されていると想定し、その効果を抽出することを試み、わたしがアートホラー・・・・・・と呼ぶ感情を引き起こすために、ジャンルの特徴的な構造、イメージ、類型がどのように使用されているのか示すことを試みる(自分がアリストテレスほどの権威になることを期待しているわけではないが、アリストテレスが悲劇に対して行なったことを、ホラージャンルに対して行なってみたいというのがわたしの意図だ)

アリストテレスの著作には見られない哲学的な側面として、わたしの強調点はこのジャンルに関する特定のパズルにある――これは本書の副題でもあるが、18世紀のある著述家の言葉を借用し、「心のパラドックス」と呼んでいる。ホラーに関しては、これらのパラドックスは、次のふたつの問題にまとめることができる。(1)存在しないと知っているものを、どうして恐れることができるのか。(2)ホラーを感じることがこんなにも不快なのであれば、どうしてホラーに興味をもつ人がいるのだろうか。本書の中では、こうした問いを提示しつつ、そこで何が問題になっているのかを示すよう試みている。そして、これらのパラドックスを消滅させられる哲学的理論を作っていくつもりだ。

本書で採用されている哲学の流儀は、しばしばアングロアメリカ哲学または分析哲学と呼ばれるものだ。しかし、ここで一言注意を与えておくことが有益だろう。本書が分析哲学の伝統の中で書かれていると言うことは正しいと思うが、わたしの方法は、時に概念分析と呼ばれるものだけに限定されているわけではないことに注意してほしい。わたしは、同世代の多くの哲学者と同様に、さまざまな理由で、概念分析と経験的知見を厳密に区別することには不信感を抱いている。したがって、本書では、概念分析と経験的仮説が織り交ぜられている。つまり、狭義の概念分析として解釈されるような哲学と、ホラーの理論と呼ばれるもの、つまり、このジャンルで繰り返されるパターンについての非常に一般的な経験的推測が混在している。あるいは、別の言い方をすれば、本書のホラーの哲学は、アリストテレスの悲劇の哲学と同じく、概念分析と、非常に一般的な経験に根差した仮説の両方を含んでいる。

わたしはすでにアリストテレスが先行者であることを認めている。また、わたしのプロジェクトは、ハチスンやバークといった18世紀の著述家のプロジェクトにも類似している。こうした人々は、美や崇高などを定義しようと試み、それらの感情を生みだす因果的引き金を抽出することを望んだ。また、20世紀初頭には、ベルクソンも喜劇について同様の探求を試みている。

しかし、こうしたさまざまな参照を与えたり、こうした著者たちと同じく、わたしが暗黙に機能主義をとっているせいで、当然ながらこのプロジェクトは非常に古臭いものに見えてしまうだろう。そのため、ここで本研究がどのような点で、哲学的美学の新たなアプローチを与えているのかを強調しておくことが重要だろう。

英語圏における哲学的美学は、芸術とは何か、美的なものとは何か、というふたつの中心的な問題にとらわれてきた。これらの問題は良い問題であり、こうした問題に答えるにあたっては素晴しく洗練され、厳密な仕方が取られている。しかし、芸術哲学者が自分の分野に関して問うことができるのは、こうした問題だけではないし、こうした問題に答えることにこだわりすぎるせいで、現代の美学の哲学者の関心の幅は不当に狭められている。芸術と美的なものに関する問題は放棄されるべきではないが、取り組んだ方がよい問題は他にもいくつもあるし、ひょっとしたら、それらの問題に答えることで、芸術と美的なものについても新たな角度から答えがえられるかもしれない。またこの分野がマンネリ化しないためには、こうした問題に取り組むことが望ましい。

近年、芸術哲学者は、分野のあり方が限定されすぎないようにするため、個別芸術分野の中の特殊な理論的問題に目を向けたり、自然美の問題のような古来の問題に立ち返ったり、芸術に関する伝統的問題を記号システム一般の機能に関するより広い問題の中に位置づけたりしている。本書におけるホラーの哲学の試みもまた、哲学的美学の範囲を広げるためのこうした努力の一部となっている。芸術形式の中の特殊な問題を再考するだけではなく、芸術形式を横断するジャンルの中の特殊な問題も再評価されるべきだ。

哲学的美学の視野を広げようとする近年の試みの中でも、特に興味深いもののひとつは、感情との関係から芸術を研究する新しい芸術研究だ。これは芸術哲学と心の哲学を結びつける研究領域になっている。本書の読み方のひとつは、こうしたより広い試みの中の、ひとつの詳しいケーススタディと見なすというものだろう。

また、哲学的美学は、ハイアートと見なされるようなものを追求する傾向にある。哲学的美学では、大衆芸術マスアートやポピュラーアートは無視されるか、疑わしいものと見なされる。この理由のひとつは、大衆芸術やポピュラーアートは、紋切り型になる傾向があり、多くの美学者は、カントに触発されたバイアスのため、正しく芸術と呼ぶことができるようなものは、紋切り型に陥らないと想定しているからだ。本論は、この見解に二重に反している。(1)大衆芸術を、哲学的美学の注目に値するものと見なしている点、および、(2)芸術の領域には紋切り型がないという見解に同意していない点で。このふたつの見解を同時に攻撃することは、明らかに相互に関連しており、これは意図的なものだ。

本書は四つの章に分かれている。第一章では、ホラーの本質、特にこのジャンルが意図的に生み出している感情である、アートホラーに関しての説明を与える。この章では、ホラーの定義を与え、この定義を予想される反論から防御しているだけではない。それだけではなく、アートホラーの感情を発生させる繰り返される構造を抽出することも試みるし、なぜこのジャンルが特定の時期に出現したのかに関する歴史的な考察も与えている。

第二章では、心のパラドックスの第一のもの、すなわちフィクションのパラドックスを導入する。ホラージャンルに適用した場合、このパラドックスは、存在しないと知っているものに、どうして怯えることができるのかという問題となる。しかし、ここでの問題はもっと一般的なものだ。感情を動かすのは、事実であると知っていることだけだと考える人にとってはどうしてドラキュラ伯爵に怯えるのかということだけでなく、どうしてソポクレスの『アンティゴネ』のクレオンに怒るのかということも謎となる。これは本書の中では、最も専門的な章だ。哲学的な議論が苦手な人は、読み飛ばさないにしても、さっと目を通すだけにしたいと思うかもしれない。

第三章では、このジャンルで、最も特徴的に繰り返されるプロットを精査する。また、この章では、プロットの構成に関連した拡張的な問題として、サスペンスに関する議論や、現代の文学批評家が幻想the fantastic と呼んでいるものを論じている。この章は、本書の中でも最も経験的な問題を扱っている部分だ。主に哲学的議論に興味がある人は、読み飛ばさないにしても、さっと目を通すだけにしたいと考えるかもしれない。

最終章では、心のパラドックスの第二のものを扱っている――むしろ、作家ジョン・エイキンとその姉のアナ・リティティア・エイキン(バーボルド)が、18世紀に、この〔心のパラドックスという〕素敵な言葉を生み出したのは、このパラドックスのためだった。これは、もしホラーがここまでの章で述べたようなものだとすれば、どうしてそんなものを求める人がいるのかという問題だ。これをホラーのパラドックスと呼ぼう。通常、わたしたちは苦痛の原因となるものを避ける。ほとんどの人は、娯楽を求めて車道で遊んだりはしないし、楽しい一時をすごすために検死解剖に参加したりはしない。にもかかわらず、どうしてわたしたちはホラーを与えるようなフィクションを求めるのだろうか。これが心のパラドックスであり、わたしは本書の結論部でこのパラドックスに対応したいと考えている。

また、このパラドックスを解決した後、なぜ今、ホラージャンルがこれほど注目を集めるものになっているのかについて述べたいと思う。この部分は、狭義のホラーの哲学の一部ではない。しかし、その一方で、もし現在のようなかたちでホラージャンルが周囲にあふれていなければ、おそらく、わたしたちはホラーの哲学に考えるべき問題があることにも気がつかなかっただろう。

わたしは本書をひとつのまとまった論考と見なしているが、これは、その個々の部分が体系的に連関しているからだ。ホラーの本質についてわたしが与えた説明は、ホラーのプロットや、それに関連する作品構成の研究によって具体化される。同様に、ホラーの本質と、ホラーの物語法についての説明は、それぞれ異なる形ではあるが、両者が関連しつつ、前の段落でホラーのパラドックスと呼んだものに答える素材になっている。また、本書の第二章で主張されるフィクション反応の思考説・・・と呼ばれる説は、ホラーのパラドックスについての仮説にも関係する。というのは、この思考説によって、「美的距離」という概念で探求されてきたものと同様の機能を与えることができるからだ。このように、本書の各部分は相互に関連している。しかし、本書がこのジャンルの網羅的な説明を与えているというつもりはない。今後の研究課題として、手つかずのままにしていることは、まだまだたくさんある。

いくつかの点で本書は先行する研究とは大きく異なっている。ホラージャンルを特徴づけるための通常のアプローチ――H・P・ラヴクラフトからスティーヴン・キングにいたるまで、また多くのアカデミックな批評家もそこに含まれる――は、第一章でホラーに関する非常に一般的な考察をいくつか与え、その後、事例の検討を通じて、歴史的にジャンルの発展を詳述する。このアプローチには何の問題もな――い。しかし、わたしはそれを逆転させようと試みた。このジャンルを理解する方法とが形成されることを期待しつつ、最初に、この形式に関する歴史叙述を与えることにしたのだ。

本書を書くためには長い遍歴があり、この種の学術研究を紹介したり、この種の研究をしたせいで非難を受けることもあったが、わたしは本書を書くにあたって地獄のような楽しい時間を過ごしてきたし、それが一部なりとも読者に届くことを願っている。

原註
◆1 Stephen King, “On Becoming a Brand Name,” in Fear Itself, ed. Tim Underwood and Chuck Miller (New York:New American Library, 1982), pp. 15–16.
◆2 本書で展開される理論によれば、『悪を呼ぶ少年』は実際には、純粋なホラーのストレートな事例ではない。しかし、わたしがここでそれを含めているのは、通常この作品が、このジャンルの台頭における重要な作品として言及されるからだ。
◆3 『Faces of Fear』〔ホラー作家へのインタビュー集〕のようなインタビューを集めた本をめくってみると、興味深いことに、多くのホラー作家は、このジャンルに参入し、長く影響を受けるようになった、最初の好意的なきっかけとしてホラー映画をあげていることがわかる。これは、ロバート・ブロックなど著名な先駆者にも当てはまる。Douglas E. Winter, Faces of Fear: Encounters with the Creators of Modern Horror (New York: Berkley Books, 1985)を参照。
◆4 例えば、Marshall B. Tymm 編のきわめて有益な著作Horror Literature: A Core Collection and Reference Guide (New York: R.R. Bowker Company, 1981) のホラージャンルに関する項目は、1762年に開始されている。
◆5 Frederick S. Frank, “The Gothic Romance: 1762–1820,” in Horror Literature, p. 11.
◆6 Montague Summers, The Gothic Quest: A History of the Gothic Novel (London: Fortune, 1938).
◆7 J.M.S. Tompkins, The Popular Novel in England (London: Methuen, 1969), p. 245.◆8 Donald Glut, “Frankenstein Haunts the Theater,” in his The Frankenstein Legend (Metuchen, New Jersey: The Scarecrow Press, 1973)を参照。
◆9 『Vamey the Vampire』はJames Malcolm Rymer の作とされることもある。
◆10 本書で提唱される理論の観点では、ポーの作品のほとんどはホラージャンルに当てはまらない。わたしは、ポーをホラーではなく、戦慄の巨匠とみなすことを好む。しかし、わたしがこの序の中でポーについて言及しているのは、ポーが前理論的にこのジャンルに結びつけられているからというだけではなく、キャラクターの心理的感覚を描くことの重要性についてのポーの考え方が、H・P・ラヴクラフトやそのフォロワーたちなど、多くの主要なホラー作家に決定的かつ直接的な影響を与えてきたからだ。
◆11 Benjamin Franklin Fisher, “The Residual Gothic Impulse: 1824–1873,” in Horror Literature, p. 177.
◆12 Gary William Crawford, “The Modern Masters: 1920–1980,” in Horror Literature, p. 279.
◆13 例えば、〔フレッド・チャペルによる〕60年代の小説『暗黒神ダゴン』は、部分的には前衛的なラヴクラフトオマージュとして読むことができる。
◆14 団塊の世代にとってホラーを与えてくれるエンターテインメントのもうひとつの供給源となったのは、もちろんコミックブックだ。
◆15 Aristotle, Poetics, trans. Benjamin Jowett and Thomas Twining (New York: The Viking Press, 1957), p. 223.〔アリストテレース「詩学」松本仁助・岡道男訳、『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』岩波書店、1997年〕

訳註
◇1 本書では、周期的なホラーの流行の波が「ホラーサイクル」と呼ばれている。周期的な流行という現象にくわえて、周期的な波を構成する時代ごとの流行もまた「サイクル」と呼ばれる。日本語には置き換えづらい概念のため、原語のcycle に合わせて「サイクル」としている。ホラーサイクルの具体例としては、〈30年代前半のモンスターホラー映画の流行〉や、〈70年代後半以降のホラーの流行〉(本書で言う「現在のホラーサイクル」)などが含まれる。
◇2 ここで念頭に置かれているのは、おそらく、ツヴェタン・トドロフの『幻想文学論序説』だ。怪奇、幻想などはトドロフが使用している分類。トドロフの分類については、本書第三章で詳しく論じられる。

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ホラーの哲学

フィクションと感情をめぐるパラドックス

ノエル・キャロル=著
高田敦史=訳
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3,200円+税
四六判・並製 | 500頁 | 978-4-8459-1920-8
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