ためし読み

『シティ・ポップ文化論』

はじめに

本書は、私が当時所属していた東京都立大学にて2022年1月から3月にかけて開講したオンライン連続講座、『シティ・ポップから考える――都市・音楽・イメージ』の記録をもとにして構成されている。雑誌『東京人』2021年4月号での特集「シティ・ポップが生まれたまち 1970 -1980年代 TOKYO」を受けて、東京都立大学と『東京人』がコラボレーションするなかで企画された講座である。私は講座ナビゲーターとして、全9回の講師ラインナップの企画と講義中の司会を担当した。厳密にいうと、講座を開講した部局は「東京都立大学オープンユニバーシティ」だったため、大学生だけでなく高校生からご年配の方にかけての幅広い年代の方々に受講してもらうことができた。なお2022年初頭はいまだ新型コロナウィルス感染症拡大の渦中にあり、講義はすべてオンラインでのリアルタイム配信によって行われた。だが、むしろそのおかげで、東京に所在する大学が開講した講座でありながら、日本各地で活動する先生方を講師としてお迎えすることができたし、東京在住に限らず幅広い地域からの受講生に参加してもらえたことは、連続講義の受講経験としてはかえって充実したといえるだろう。

専門領域に閉じるのではなく社会に向けて開かれることを目指すオープンユニバーシティとはいえ、毎回の講義でレクチャーされる内容はアカデミックな場での議論の蓄積を踏まえた最先端の知見の提示となるよう心がけた。そのため登壇をオファーした講師陣も、音楽制作・流通の場にいる/いた人びとや音楽ジャーナリストから現場のリアルな話を伺うというよりは、なんらかのかたちで大学での研究・教育にかかわっている方々の比重が大きくなっている。したがって最新の学術的な観点も取り入れながら、シティ・ポップをめぐる現在進行形の状況について、多角的な視座からの分析を学ぶことができたはずである。

連続講義を企画するにあたって当初から考えていたのは、シティ・ポップの音楽それ自体については主要な論点とせず、むしろその周辺の状況に焦点を当てることであった。なぜなら、ちょうどその時期は今からするとリバイバル現象のピークともいえる段階であり、日々さまざまなメディア――雑誌、書籍、テレビ・ラジオ番組、トークイベント、ウェブ記事などなど――でシティ・ポップの「再発見」について盛んに語られ、その音楽性やミュージシャンや個々の楽曲についての思い出話や新しい観点からの考察が数多く展開していたからである。少しばかり食傷気味であったのだ。そのなかで私が知りたいと思ったのは、シティ・ポップそれ自体というよりは、その周辺をとりまく文化的・社会的な状況についてであり、それを明らかにすることを通じて、「文化」としてのシティ・ポップの姿を理解することだった。だからこそ講義のタイトルを、「シティ・ポップから」「都市・音楽・イメージ」を「考える」と設定した。シティ・ポップを起点とすることによって、1970〜1980年代当時から2020年代のリバイバル爛熟期までの視覚・聴覚的な文化的実践のつながりを文脈化すること、を全体の目的としたのである。

したがって、シティ・ポップそのものの歴史を描いたり、そこに含まれる楽曲を分析したり批評したり、ミュージシャンの考え方について深く掘り下げたりするのではなく、あくまでも周辺の状況を説明・考察してもらうように講師の先生方にはお願いした。もちろん、講義のなかでは話の流れで個々の楽曲やミュージシャンについて触れないわけにはいかない。これはあくまでも連続講義の企画者としての私の意図であり、それぞれの講義では具体的な「音楽」の話が密に取り上げられているので、そのあたりに興味のある読者も安心して本書を読むことができるだろう。このように本書は、シティ・ポップのディスクガイドでもなければ、その歴史を紡ぐ解説本でもない。シティ・ポップを文化として論じる、しかも複数の講師による多角的な視座から縦横無尽に考えてみる、シティ・ポップをスタート地点として描かれるそうした思考の痕跡の集合体として読むことができるはずである。

そして実際のところ、全9回の講義は、それぞれがかなり異なった角度からシティ・ポップをめぐる文化的状況を説明するものとなった。本書の編集作業を通じて当時の講義中の記憶もいろいろと蘇ってきているところだが、シティ・ポップを考えるにあたってそんな論点もあるのか! と膝を打つこともあれば、説明される事例の奇妙さ・面白さに笑いをこらえられなかったこと、シティ・ポップ再受容をめぐる私たちの姿勢に向けられた批判的な観点に接して神妙に頷いたことなど、個人的には非常に新鮮な気持ちでシティ・ポップから考えることができた。講義の構成も講師によって大きく異なっていたため、アカデミックな講義調が続く回もあれば、ラフな対談形式で議論が進んでいった回もある。具体的な議論の内容はそれぞれの章を読んでもらうとしても、講義で取り上げられた論点については大まかに示しておこう。全体で共有されているのは東京という都市(シティ)とポップ音楽との関係に向けた関心であり、その上で各講師それぞれの切り口から議論がなされている。加藤賢氏、宮沢章夫氏、小泉恭子氏、輪島裕介氏の章では、現実の都市空間と音楽制作・聴取の場における文脈との複雑なかかわりが解き明かされていく。また柴那典氏、金悠進氏、大和田俊之氏の章では、1970〜1980年代の具体的な日本の都市を飛び出て2010年代以降のネット空間や海外でのシティ・ポップをめぐる文脈が解説される。そして川村恭子氏・輪島裕介氏、楠見清氏・江口寿史氏の章では、対談形式での語りを通じて、シティ・ポップがつくられ聴かれていた当時の都市の空気感を知ることができる。

ちなみに、本書の目次に並んでいる章の順序は、実際に講義として行われた回の順序とは若干の入れ替えをしてある。各回で講師の入れ替えが必要な連続講義を実施するには、現実的な予定との調整が不可欠であり、企画当初に練り上げた開講順が実現できないことも多い(実際できなかった)。それを本書ではもともと私が考えていた通りの順序に直して収録してある。とはいえ、各回の講義はそれぞれ独立して話されたものであるため、あなたが気になる講師の回からつまみ食いするように読んでもらってもまったく問題ない。それぞれの講師がシティ・ポップから考えるために繰り広げた多角的な議論の筋道を追って、あちこちに振り回される読書経験を楽しんでほしい。

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シティ・ポップ文化論

日高良祐=編著
柴那典/加藤賢/宮沢章夫/川村恭子/輪島裕介/小泉恭子/大和田俊之/金悠進/楠見清/江口寿史=著
発売日 : 2024年2月23日
2,200円+税
四六判・並製 | 268頁 | 978-4-8459-2141-6
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